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オタ・パヴェル「賢い目のウサギたち」(6)

川が見えた。
川は、父にとって人生におけるすべてだった。
それゆえに、父は川のほうへと行った。川沿いに行けばたどり着くはずというのもあった、わが家に、わが妻に。
月明かりのもと、父は歩いた。月は、川を銀の道にしていた。
ところどころで父は草のなかに身をのばして横たわった。どこもかしこも痛かったのだ。
心臓は張り裂けそうだったし、足は止まってしまいそうだった。
人生で初めて父は、こんなに長い道のりを、口笛も吹かず歌も歌わずに歩いていた。軍隊で覚えたゾウの歌も、「赤いスカーフ」も歌いはしなかった。
まるで、蓄音機のバネがパキンとなったかのように、陽気な旅人や釣り人のいる、オルゴールの鳴る額絵の演奏が終わってしまったかのように。
父は歩いた。ただ、空にたまに、父が命じたとおりにきちんときれいな紙を内側に置いた食料庫が浮かんでくるかのようだった。
それから父は、岸辺で魚を見たそうだ。
それは体長の長い魚で、大きな目をギョロッとさせていた。
魚は父を見、そして父は魚を見た。
それは、とても利口だったので、生きてきてずっとほかのどんな魚にも殺られることはなく、知恵のある釣り師に釣り上げられることもなかった魚だった。
だからこそ、そんなに大きく、年をとっていたのだ。
父はその後断言していた。その魚は、父がどんなふうに死んでいくのか見に来たのだと。なぜなら、父はその生涯で、何千もの魚をあやめてきたからだ。
魚は、ひれをちょっと振り、遠ざかっていった。ふたたび父は家をめざし始めた。
朝、父は足を引きずって木戸にたどり着いた。
木戸のもとに足がくずおれ、心臓を押さえた。
母は驚いて、父を居間に連れて行った。
食料庫のそばを通るとき、父は顔をそむけた。そこに、母がきれいな紙を敷いているのではないかと心配だったのだ。
が、ちょっと見てみると、食料庫にはあの汚れた紙が敷いてあり、明らかに、わざと少しだけ扉が開けられていた。
そこには、小麦粉、米、大麦が少しと、油の瓶があった。
父は椅子に座りこむと、母に微笑みかけた。
「おまえさんは、最良の友だよ」

母は救急車を呼んだ。
救急車が来て、病院へ行くために、父は外へと連れ出された。
父は救急隊員をののしり、門のところで彼らの手を振りほどいた。何か忘れ物をしたのだった。
人びとが持っていくような小さなトランジスタラジオを取りに帰ったのではない。
父はかつて、きれいなプレートを描かせていて、それは父のご自慢だった。
今や父はそのプレートを、みんなが読めるように、門に掛けた。
そのプレートには、こうあった。

「すぐに戻ります」

だが、二度と戻ることはなかった。
(終)

【蛇足のことなど】
「軍隊で覚えたゾウの歌」:この「賢い目のウサギたち」は短篇集『美しい鹿の死』に収められていて、その表題作「美しい鹿の死」に、このお父さんが「お行儀の悪いドイツの歌」を口ずさむシーンがある。“Der Elefant von Indien/Der kann das Loch nicht finden(インドから来たゾウは、穴を見つけられない)”ドイツの男子小中学生が歌う、いわゆるバレ歌のたぐいらしい。

ちなみに、もう一つの歌「赤いスカーフ」は、こんな歌。



「オルゴールの鳴る額絵」hrací obraz:講座でも千野訳でも、(「マリアーシュ」というチェコ独特の)「カード遊び」だということだけど、グーグル検索してみると、動画が1件あり、宗教的な額絵で、オルゴールのような音が鳴るものだった(英語で「メカニカル・ピクチャー」というもの)。画像検索でも同様の写真が何件かヒットした。
歩くときには歌を歌ったり口笛を吹いたりするのが常のお父さんが、そうしなかった、というのだから、「カード遊びが終わったように」よりは、「メカニカル・ピクチャーが演奏し終えたように」ではないかと思い、ここは自分が思ったようにした。

川で老魚と出会うくだりは、精神的に不調だったというオタ・パヴェルの心象風景のような気がする。
山岸凉子『日出処の天子』でも、池の鯉を見ているうちに指を食いちぎられる妄想が浮かぶシーンがあったような。
魚って、なんだか怖いのである。
by boyo1967 | 2015-02-21 23:46 | チェコ・中欧・スラヴ | Comments(0)