五輪エンブレム、ついに使用中止
ただ、リエージュ劇場ロゴが、TheatreのTとLiegeのLの組み合わせで、デザインの意図が明確に伝わってくるのに対し、S氏ロゴは、四角形の内側の円形のためにたまたま「L」が出現してしまっただけかもしれないけど、じゃあ、そんな「L」に見える原因である右下の銀色のパーツは要らないだろうし、デザインの意図がよくわからないとは、思った。
亀倉雄策の1964年東京五輪ロゴへのリスペクトとしての配色や赤丸の使用ということだけど、ロゴの緊張度の高さ、隙のなさは、亀倉作品が断然まさっている。
騒動のおかげで、S氏のデザイン作品の多くをインターネット上で見る機会があったが、多くがキャラクターを全面に打ち出したもので、五輪エンブレムとは作風がまったく違うのが、ふしぎなことだと感じた。
その後、エンブレムの審査委員代表の永井一正が、原案は違っていた、と発表し、その画像を見たとき、何か違和感があったのだが、それは自分のなかでもはっきりしなかった。
まぁでも、これで盗用疑惑を抑えて、このまま進むのかなと思っていた。
それが、きょうの朝刊で、「ヤン・チヒョルト展」の図録の表紙やポスター(白井敬尚デザイン)に似ていると報じられ、その比較画像を見て、わかった。
白井氏のデザインは、同じ長方形と三角2つの組み合わせで「T」を形づくってはいても、三角がちいさめで、すっきりしている。
図録の表紙デザインは、「ヤン」の頭文字「J」の左上へのハネに当たる円、ピリオドの円、Tのあとのピリオドの円が呼応しあって、またチヒョルト制作の書体を元にした「J」「T」ともに美しく、配置のバランスもよく、JとTの縦棒の部分に(おそらく)チヒョルトの肖像をあしらった、アイデアもデザインもすぐれた、とても美しい表紙デザインだ。
その記事に、チヒョルトについて
「ドイツに生まれ、1920年代から新しいタイポグラフィー(活字書体のデザイン)の創生に努めた」
とあって、ハッとした。
そうだ、S氏の五輪エンブレムって、原案にしろ最終案にしろ、タイポグラフィーとしての美しさが、ない。っていうか、S氏はキャラクターデザインの人で(たぶん)、タイポグラフィーの人じゃないもの。
まぁそれは、デザインソフトによるデザインが主流になってから、多くのデザインが書体に頓着しないものになってしまって、S氏だけの話ではないのだが。
20年ぐらい前は、レタリングをやっていてデザイナーになった人もいたし、自分で書かなくても、文字へのこだわりの強いデザイナーは多かった。字間を執拗に詰めたり開けたり、書名の「の」が気になるからと「の」だけ小さくしたりしていた。
最近、書籍の装丁や雑誌の誌面デザインで、いいと思うものがあまりないのは、わたしが年をとって感性が鈍ったせいもあると思うけど、それだけではなく、デザイナーがデザインに対して、ソフト任せで無頓着になっているということもあると思う(それと、デザインソフトが使えるけど素人、という人によるデザインも増えているということと)。
新国立競技場の件といい、エンブレムの件といい、1964年東京五輪から半世紀経って、日本人って退化しちゃったんじゃないか、と思えてならない。