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ミラン・クンデラ「誰も笑わないだろう」(40)

夫人と出来事には因果関係があり、その渦中において今、ぼくたち二人ともがなんだかかなしい役回りを演じていたわけだが、その因果関係が突然、あいまいで、宙ぶらりんで、たまたま起きたことであって、意図されたことではないように思われたのだった。
と同時に、ぼくたち自身が出来事という馬に鞍をつけ、馬たちの走りをコントロールしていると思いこんでいたのはぼくの幻想にすぎないことを理解した。つまり、もしかしたら、「ぼくたちの」出来事などではまったくなくて、むしろ、どこか「外部から」ぼくたちに押しつけられているのだ。どうしたってぼくたちを性格づけない。ぼくたちは、そのとても奇妙な軌道に対して打つ手を持たない。何か「見知らぬ」力によって操られながら、ぼくたちを連れ去ろうとしているのだ。

結局、ザートゥレツカー夫人の目を見て、こう思われた、あの目には行為の終着点が見えていなさそうだ。こうも思われた、あの目はまったく何も見ていなさそうだ。あの目は単に夫人の顔でただ泳いでいるだけ、ついているというだけなのだ。

「あなたは正しいのでしょう、ザートゥレツカーさん」ぼくは懐柔するように言った。
「もしかしたら、あの女の子は本当は真実を話していないのかもしれません。でも、ご存じでしょう、男は嫉妬心が強いものです。ぼくはあの子の言うことを信じて、少しカッとなってしまったんです。
だれにでもあることですが」
「ええ、存じています」ザートゥレツカー夫人はそう言った。目に見えて、夫人はホッとしていた。
「あなたご自身が認めてくださって、よかったわ。
私たち心配していたんです、あなたが彼女の話を信じているのではと。
だってあの女は、うちの主人の人生をすべて台なしにしかねなかったんですよ。
そのことが主人に、どんな道徳の灯りを投げかけているか、申し上げはしません。
私たちはなんとか耐えぬくでしょう。
ともかく、あなたの評論から何もかも、うちの主人は期待しているんです。
編集部は、ただあなたにかかっていると請け合いました。
うちの主人は、論文が活字になったら、ついに研究者として認められるだろうと確信しているんです。
お願いです、つまりすべてが明らかになったのですから、主人にその評論を書いてくれますか?
それも、早くできませんか?」

今や、すべてに対して復讐を遂げ、己の怒りを鎮める時が来た。ただ、そのとき、ぼくはいかなる怒りも覚えていなかったのだが。ぼくがそのことを、いま言ったことを言ったのは、ほかにやりようがなかったからにすぎない。
「ザートゥレツカーさん、その評論を書くことはむずかしいんですよ。
どういうことだったか、洗いざらいお話しします。
ぼくという人間は、ひとに面と向かって不愉快なことを言いたくないんですよ。
それはぼくの悪いところです。
ザートゥレツキーさんから身を隠して、ぼくはこう思っていました。『なぜぼくが彼のことを避けるのか、ザートゥレツキーさんはよくよく考えてくれるだろう』。
なぜって、ザートゥレツキーさんの論文は、駄目なんですよ。
いかなる学問的価値もありません。
ぼくの言うこと、信じてもらえますか?」
by boyo1967 | 2016-06-25 23:27 | チェコ・中欧・スラヴ | Comments(0)