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神戸市教育委員会編『神戸の史跡』(神戸新聞出版センター、1975年)で知った、磨崖仏を見に行くことにした(姫路城の古いガイドブックを集めることに端を発し、最近、25〜40年前の、地域史の解説書やガイドブックを何冊か買い求めている。学校史や企業史もそういう印象があるけど、最初に出た本というのは、たいていきちんとしている)。
1975年当時は垂水区だけど、現在は神戸市西区押部谷(おしべだに)町木津にあり、最寄り駅は、神戸電鉄粟生(あお)線木津駅。
駅舎を出て、右側の階段をおり、そのままほぼ神鉄沿いに藍那(あいな)方面へ引き返す感じで歩くと、15分ほどで着く(帰りの電車で気づいたけど、電車の北側の車窓からも、その崖と、手前の池が見える。ただし磨崖仏は肉眼ではわからないだろう)。

意外な、小ささ(本やウェブ上の写真から、勝手に、バーミヤンの大仏とまではいかなくとも、もっと大きい物を想像していた)。
でも、その小さいながら静かな佇まいを拝見していると、その場にある説明の
「この街道を行き交う人の旅の安全を祈って刻んだ」
という思いがありありと伝わってきて、しんとした気持ちになった。

「この街道」というのは、
「都(神戸・福原)から鵯越(ひよどりごえ)を経て、三木方面や姫路方面への主要街道」
である(現在の神戸電鉄粟生線にほぼ沿っていると思われる)。
秀吉が播磨を平定したあと、当初は三木城を居城にするつもりだったのが、黒田官兵衛の進言を受けて、結局は姫路を拠点とした、という話を聞いて、不思議な気もしていたが、こうして木津まで足を運んでみると、三木も交通の要衝の一つであったことが理解できた。

案内板より
「木津フレクシャーと呼ばれている断層の一部の礫岩壁に、縦32cm、横2.2mのくぼみを彫り、中央に阿弥陀如来坐像、左右に三体ずつの地蔵菩薩を浮き彫りにしています。「丁亥 石大工兵衛 文正二天(1467年―室町中期)」と刻銘が残っており、神戸付近で規模の大きいものでは、この磨崖仏と太山寺の不動明王の磨崖仏の2カ所だけです」
太山寺にもあるのかー、こちらも見に行きたい。
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阿弥陀如来坐像のお顔は、残念ながら、落ちている

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見えづらいけど、「石大工」「文正二」の文字が認められる

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崖下に広がる「川池」

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(神戸市西区制作「西区ふるさと散策のみち ウォーキングまっぷ:粟生線沿線散策のみち」より)
顕宗仁賢神社は、今回は行かなかったが、『古事記』『日本書紀』『播磨国風土記』にも
その物語が記される、顕宗と仁賢の兄弟の天皇をまつる古いお宮だそうだ


神戸電鉄に乗る前に、新開地で腹ごしらえ。
洋食が食べたく、また、駅から近いほうがよかったので、「洋食屋 ゆうき」というお店に行ってみることにした。
ちょうど12時ぐらいに着いてしまい、8人ぐらい並んでいたけど、回転が早いようで、10分ぐらいで店内に案内された。
ミニハンバーグ、チキンカツ、エビフライのaランチを頼む。
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いざ来てみてびっくり、ミニハンバーグどころか普通の大きさだし、チキンカツもエビフライもなかなかの大きさ。
これで、サラダとスープがついて800円!
「洋食レストラン」というよりは、「食堂」という感じの雰囲気とお味だけど、このコストパフォーマンスの高さは、すごいと思う。
オットが頼んだ、bランチのビフカツも、これで1000円はすごいと思った。

偉大なバレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフがソ連から亡命するまでを描いた映画『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』(2018年、イギリス・ロシア・フランス)を観に行く。

お昼ごはんは、さんプラザ地下のマレーシア・ペナン料理「梅花(メイファ)」へ。
セットを頼む(調べてみると「ナシ・ルマ」というものらしい)。
スパイスが効いていて、おいしい!
また食べに行きたいなぁ。
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映画は、キーロフ・バレエ(現マリインスキー・バレエ)の来パリ公演で、バレエ団の一員としてパリにやって来たヌレエフ(映画のなかでの「現在」)と、キーロフ・バレエでのヌレエフ(過去)、子どものころのヌレエフ(もっと過去)のシーンが頻繁に切り替わり、ついていけなくなったり、退屈になったりしたところもあったけど、終盤、パリの空港で、ヌレエフがフランスに亡命するかどうかのところで、俄然、手に汗握るおもしろさとなった(どうなるかは知っているのに)。
『愛と哀しみのボレロ』のイメージが強かったので、
「あ、柵を飛び越えて亡命したわけじゃないのね」
と。
まあ、そりゃそうよね。

(ソ連は、結局、瓦解しただけあって問題はあまりにも多かったと思うけど、芸術に関しては、ことにバレエに関しては、20世紀初めのバレエを「凍結保存」し、そして亡命ダンサーが多く出たことによって、それをあらためて西側諸国に伝えたことで、本当に功績が大きい。ソ連瓦解後にも多くのダンサーが西側に出たと思われるが、またそれによって、旧西側や日本のバレエ界は多大な恩恵を受けたことと思う。)

ヌレエフを演じたオレグ・イヴェンコは、演技もバレエもよくやっていたと思うけど、それでも最後の最後に、ヌレエフ本人の踊る映像が映し出されると、ほんの短いものだけど、ヌレエフの踊りが非凡なことが、わたしのような素人にも伝わり、この手の伝記映画のむずかしさを思わされた。
(ポルーニンは、少し映るだけでも、印象に残る。あれだけスター性があって、今はあまりバレエを踊っていないのは、やはり惜しい。まぁ、発言とかふるまいとかを考え合わせると、仕方ないとも思うが。)

シネ・リーブル神戸のバレエもの映画は、10人いるかいないかで観ることが多いけど、この日の14時台の回は、ほぼ満席。
初老以上が多かったように思うが、ヌレエフの知名度のおかげだろうか。


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スターダストレビューのコンサートに初めて行った(新聞で、チケット発売の広告を見かけて、なぜか行きたくなり)。
最新アルバム「還暦少年」からと、「夢伝説」など定番の曲を取り混ぜて、3時間半。
スタレビをわたしに教えてくれた友達が「要ちゃん」と呼んでいたから、わたしも「要ちゃん」呼びするけど、昨年、脳梗塞をされていたとは、知らなかった。
でもお元気で、舞台の上で、常にしゃべっているか、歌っているか、声の衰えもなく、うれしくなった。
アカペラの「SWEET MEMORIES」聞いて思い出した、そうそう、これの収録されていたアルバムは「チャーミング」、これには「トワイライト・アヴェニュー」も収められていたかと。
ああ、自分は、スタレビをよく聞いていた18歳前後からは、ずいぶん遠くなっちゃったなぁ…。

スターダストレビューは要ちゃんと中学からのつきあいになるメンバーもいると知り、まさに「還暦少年」そのままの彼ら。
幸せな人を見ていると、こちらも幸せになる。
そんなスタレビのライブを聴くことができて、よかったなぁとしみじみ思った。
(豆知識:神戸はスタレビにとって、1981年のメジャーデビュー前日に、神戸商船大学(現・神戸大学海事科学部)学園祭でライブをおこなったなじみ深い街だそうだ。
また、この日のライブは、元号が令和に変わって最初のライブだった由。)
残りのツアーも、体には気をつけてがんばってください!

終わってから、阪神電車で帰ろうとしたら、めずらしく遅延していて、梅田行き特急が来て、座れたけれども、発車しない。
なんでも、高速神戸駅で停電が発生して、発車時刻はかなり先になりそうとか。
ライブの3分の1ほど立って手拍子して、まあまあ疲れていたところ、座れてしまったので、立ち上がってJRへ移動するのがものすごく大儀だったが、しばし冷房の効いた車内で休憩して、気力を振り絞ってJR三ノ宮駅へ移動。
快速に乗って芦屋駅へ。
リブゴーシュの「マグナムクラブ」に非常に遅ればせながらの参加、テーマ「インペリアル」のシャンパーニュをあれこれいただく(赤坂御所のプライベートクレマンや、モエ・エ・シャンドンのアンペリアルシリーズなど)。

ここで少し説明しておかねばなるまい。半分の紙幣を入れた札入れと、まさに老婦人を刺した折りたたみナイフが、どうやってフキヤのもとにやって来たか。
二つとも、この目的のためだけに、大きな寺の祭りの露店でフキヤが買い求めたものだった。
品定めする客が一番多い露店で、祭りの最もにぎやかな時間帯を選び、買い物にきっちりの金額を売り子に小銭で渡した。だから売り子も客たちも、当然のことながら、フキヤの顔を記憶にとどめる間はなかった。
すべてがとても速く済んだ。そうして誰かがフキヤに注意を払う前に、フキヤは立ち去っていた。
札入れと同じく、ナイフもまったくありふれたもので、基本的にどこでも普通に売られているものだった。

フキヤは、自分が一切、痕跡を残していないことを確認するため、もう一度、客間全体を見て回ると、ふすまを閉めて、そろそろと部屋から出て玄関へ向かった。
そこで靴ひもを結びながら、自分の靴の跡をどこかに残した可能性はないか考えた。
けれども、その点でも心配することはないと判断した。
玄関の三和土(たたき)の床は漆喰で塗り固められており、入り口の門へ通じる玄関外の通路は、ここ数日、雨が降らなかったために乾いていて、石のように固くなっていた。
残すところは、もはや、格子戸を開けて、おもての通りへと出ることのみである。
まさに今は、どんなに些細な過失でも命取りになった。そうなれば、フキヤのすべての努力は、無に帰するであろう。
フキヤは用心深く、こちらへやって来る足音が通りから聞こえてこないかどうか、耳を澄ませた。しかし完全に静まり返り、ただどこか遠くの家から、誰かが琴を弾ずる音が流れてくるばかりであった。
フキヤは胸を張り、そっと格子戸を開けて、まるで何事もなかったかのように平然として通りへ出た。
その際、ちょうどおいとましたばかりの客のような顔つきをした。
フキヤの期待どおり、辺りにはどこにも誰もいなかった。

その高級住宅街のどの通りにも、本当に人っ子ひとりいなかった。
老婦人の屋敷から四百から五百メートルぐらい、フキヤはとある神社の古びた石垣のそばを通りかかった。
フキヤは、誰にも見られていないことを確認し、石垣の細い隙間に、殺人に使用したナイフと、血まみれの手袋を放りこんだ。
それから知らず知らずのうちに、自分が普段、散歩するときのように、遠からぬ小さな公園へと角を曲がった。そこでフキヤはベンチに腰かけ、子どもたちがブランコを漕ぐのを、長い時間、落ち着いて眺めていたのだった。

そして家に帰る途中、フキヤは警察署に立ち寄った。

【江戸川乱歩原文】
ここで一寸、彼が紙幣を入れた財布と今のジャックナイフについて説明して置かねばならぬ。彼は、それらを、この目的丈けに使う為に、ある縁日の露店で買求めたのだ。彼はその縁日の最も賑う時分を見計らって、最も客の込んでいる店を選び、正札通りの小銭を投出して、品物を取ると、商人は勿論、沢山の客達も、彼の顔を記憶する暇がなかった程、非常に素早く姿を晦(くら)ました。そして、この品物は両方とも、極くありふれた何の目印もあり得ない様なものだった。
 さて、蕗屋は、十分注意して少しも手掛りが残っていないのを確めた後、襖のしまりも忘れないでゆっくりと玄関へ出て来た。彼はそこで靴の紐を締めながら、足跡のことを考えて見た。だが、その点は更らに心配がなかった。玄関の土間は堅い漆喰(しっくい)だし、表の通りは天気続きでカラカラに乾いていた。あとには、もう格子戸を開けて表へ出ることが残っているばかりだ。だが、ここでしくじる様なことがあっては、凡ての苦心が水の泡だ。彼はじっと耳を澄(すま)して、辛抱(しんぼう)強く表通りの跫音(あしおと)を聞こうとした。……しんとして何の気はいもない。どこかの内で琴を弾じる音がコロリンシャンと至極のどかに聞えているばかりだ。彼は思切って、静かに格子戸を開けた。そして、何気なく、今暇(いとま)をつげたお客様だという様な顔をして、往来へ出た。案の定そこには人影もなかった。
 その一劃はどの通りも淋しい屋敷町だった。老婆の家から四五町隔った所に、何かの社(やしろ)の古い石垣が、往来に面してずっと続いていた。蕗屋は、誰も見ていないのを確めた上、そこの石垣の隙間から兇器のジャックナイフと血のついた手袋とを落し込んだ。そして、いつも散歩の時には立寄ることにしていた、附近の小さい公園を目ざしてブラブラと歩いて行った。彼は公園のベンチに腰をかけ、子供達がブランコに乗って遊んでいるのを、如何にも長閑(のどか)な顔をして眺めながら、長い時間を過した。
 帰りがけに、彼は警察署へ立寄った。

束の間ボーッとしていると、1カ月近く経ってしまっている。怖ろしや。

2019年
5月3日(金):名古屋城本丸御殿も見られず
名古屋旅2日目。
「コンパル」(大須本店)という喫茶店でモーニング。
赤だしやらあんトーストが有無を言わさず付いているという、テレビで報じられる「名古屋モーニング」ではなかったけど、飲み物プラス130円で、玉子とハムのホットサンドがいただけるという、他地域に比べればお得なモーニングだったと思う。
カフェオレもホットサンドもおいしかった。
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名古屋城へ向かう。
公式サイトには「地下鉄名城線『市役所』駅下車徒歩5分」とあるが、正門に至るのにお堀沿いに歩いた時間は、5分どころではなかった気がするが…初めて行ったので、延々歩いた気がしたのだろうか。
(駅から、より近い東門からでも観覧券が買えたのかどうか、公式サイトを見ても理解できない。)
で、正門に着いたのが9時45分ぐらい、その時点で、目当ての本丸御殿は、120分待ちとなっていた。開園時間9時である。
ここで、そのために来たのだけど、本丸御殿を見るのをあきらめ、特別公開中の「西北隅櫓」を見てから、11時からのボランティアガイドツアーに参加することにした。
西北隅櫓に行くと、数十人並んでいるけど、11時までには見終わるだろう…と思ったが、いやはや。
意外に列が進まない。
やっと入れたときには10時40分ぐらい、櫓の最上階(3階)は消防法の規制で、最大9人しか入れないので、中でも少し待つことになるという。
それでも、せっかく名古屋城に来て、「何かを見た」かったので、ガイドツアーはあきらめて、西北隅櫓をじっくり見ることにした。
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隅櫓とはいえ、さすが徳川御三家の城の隅櫓、三重の、小さなお城の天守ほどもある、立派な櫓だった(清洲城の小天守を移築したものという伝承があるそうだ)。

そのあとは、天守は今は閉館していて見られないので、適当に歩き回った。
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閉館中の天守(空襲で焼けて、再建されたもの)

本丸御殿は、まさに十重二十重の行列ができていた。
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本丸御殿が見られなかったのは残念だったが、石垣やお堀が立派で、結構満足した。

この日、大変だったのは、これからだった。
12時過ぎ、徳川美術館に移動しようと、観光ルートバスメーグルを30分ほど待ち、先頭から2組目で待ったから座れたけど、ここらへんで、すでになかなかに疲れている。
徳川美術館の食事処もいっぱい、昼食はあきらめて、美術館を鑑賞。
刀剣の特別展で、刀を一列目で見るには、またもや並ぶ必要があったが、さすがにそれはパスして、適当に館内を見て回る。
さすがに、いいものをお持ちである。
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徳川園・大曽根の滝

庭園の徳川園もざっと見て、繁華街の栄のほうへ帰ってからごはんを食べようとするが疲労困憊、折よくタクシーがお客さんをおろしたところで、そのタクシーに乗り込む。
途中で、運転手さんに、織田信長に鐘の鋳造を許された鋳物師(いもじ)がルーツという調理器具屋「鍋屋」を教えてもらった。
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ここらへんで15時近く、松坂屋(名古屋には百貨店不況はないらしく、3棟が渡り廊下で連結された超巨大百貨店)に行けばいいだろうとレストランフロアに上がってみると、ひつまぶしの「あつた蓬莱軒」も、味噌カツの「矢場とん」も、信じられないくらいに人が待っている。本当に、信じられないくらいに。
(名古屋には、百貨店しか、休み中に人が行くところがないのだろうか?)
こんな時間だから、絶対にひつまぶしが食べられるだろうと思っていたのに、それどころではないことを思い知り、来る途中に見かけていた洋食の「松栄堂」に行くことにした。10分ほど待って、ようやく入店できた。
和風ステーキをいただいた。おいしかった。

名古屋クレストンホテルに戻って、預けた荷物を受け取り、地下鉄を乗り継いでJR名古屋駅へ。
指定席を変更して、16時1分発ののぞみで、新大阪へ。

いやー名古屋は異界だった。
話し言葉が新派か歌舞伎のようにゆっくりしているうえに、今回、いろいろな行列に並んでいる最中に耳にした会話で思ったけど、関西人のようにストレートな物言いをしない。
西北隅櫓に入るのに並んでいるとき、前にいた60代ぐらいの女性のスマートフォンが鳴り、どうやら、お連れと別行動の模様で、その女性は、こちらに来て一緒に西北隅櫓を見たらどうかと促すと、「そこは、どっちなのか」と尋ねられたようだった。
「どっちと言われても、あなたがどこにおるかわからんで」と言ってから、説明を始めた。
関西人なら「どこにおるん?」あるいは「西北隅櫓なんだから、お城の西北隅」ひと言のような気がする。

また、歩くのも、歩行者天国かのようにゆったりである。
街は、1960年代から90年代の建物が中心で、名鉄百貨店のトイレもクレストンホテルの水回りも、大阪・神戸・姫路ではお目にかからないような古いものだった。
そういう物を大切にする気風と、富の蓄積があってこそ、名古屋城本丸御殿を元通りに建て直したり、天守も伝統工法で建て直そうという発想が出てくるのだろう。

犬山城天守も、名古屋城本丸御殿も見られなかったのは残念だったが、「御城印」はいただけたので、よかったとしよう。
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5月2日(木):まさか、犬山城天守に入るのに60分待ちとは
名古屋一泊二日の旅へ。
新大阪駅新幹線改札は、係員を張りつけているにもかかわらず、自動改札機の通り方がわからない人だらけらしく大混雑、わたしの前に通った人は、なぜか自分の切符を取らずに通過しようとした(それとは知らないわたしが、出てきた切符を取ったら東京行きだったので戸惑っていると、係員が駆け寄ってきて、わたしの前の人に切符を手渡し、事なきを得た)。
新大阪から名古屋はあっという間、名古屋着。
11時過ぎだったので、この時間なら問題なく食べられるだろうと、名鉄百貨店のレストランフロアに行ってみると、お目当てのひつまぶし店は大行列、あきらめて、きしめん屋さんへ。
三重の桑名が本店のお店だからか、普通の混雑具合(味は、おいしかった)。トイレに行くときに見かけた、味噌煮込みうどんのお店は、ひつまぶし店ほどではないとはいえ、まあまあの列ができていた。
(あとから思えば、このとき見た大行列が、この名古屋の二日間を予告していた。)

名鉄に乗って、犬山遊園駅へ。
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木曽川のゆったりと流れる美しい景色を眺めながら、犬山城天守へ。
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愛想のいい「わん丸君」。
楽しかったのは、ここまで。天守に入るのに60分待ちという。
まあ、外観は見られたし、あきらめて、明治村に「でも」行こう。と、軽く考えて、城下町を通り抜けて、明治村へのバスが出ている犬山駅へ移動することに。

土産物屋や食べ物屋が軒を連ねる城下町のメインストリートらしき道は、ものすごい人混み。
それを避けて、一本、外れると、歴史を感じさせる町家も残る、趣きのあるまち並みとなり、人もほとんどおらず、快適に歩けた。
快晴で、日なたはそれなりに暑い。この暑さと、異常な人混み、これもまた、この二日間、われわれについて回ったのだった。

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明治村は、初めて。
建物はそれぞれよかったし、ここに移築されてよかったなぁと思うものの、信者の拠り所ではない教会、人が泊まらないホテル、人がやって来ず送り出すこともない駅舎、なんとなく、わびしくもあった。
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ライト設計で知られる帝国ホテル。
同じくライト設計のヨドコウ迎賓館(芦屋市)に行ったときも思ったけど、
わたしにはライトの建物は何かしっくり来ないところがあり、長居していられない

びっくりしたのは、20代のカップルや女性どうしが大量に来村していたこと。東海地方って、ほかに若者の行くところがないのかしら? USJ愛知をつくれば、ものすごく人が来るのでは?

バスで名古屋市内中心部へ。バスの待ち時間がけっこう長かったこともあり、疲れた。
名古屋の大通りは大きな建物が並んでいて、きれいだけど、中日新聞のビルとか1960年代のものだろう、東京や大阪とはちょっと感じが違う(中日新聞のビルは、調べてみると、現在、建て替え中で、2020年代には新ビルとなるそうだ)。
晩ごはんは、熟成のお刺身がおいしいという居酒屋さんで。

5月1日(水)
美容室へ。
午前中、地元のだんじりが勢揃いするというので見物に行こうと思っていたはずが、すっかり忘れていた(ずっと盛んに継承していた地区もあるとは思うけど、自分の実感としては阪神・淡路大震災後にまちの復興の過程で盛んになったもののような気がしている)。

4月30日(火)
神田松之丞講談会(ポートピアホール)。
NHKの番組でその存在を知って、その後リメイクの「鳴門秘帖」の冒頭に出ているのを見たり、ラジオを聞いたりで、どんな講談をするのか興味があったので、チケットを取って、楽しみにしていた。
「扇の的」「万両婿」「中村仲蔵」の三席。
照明、衣裳にも工夫をこらし、とくに「大胆な編集」をしたという(『神田松之丞 講談入門』)「中村仲蔵」は圧巻だった。
どの話も、困難ながらも己の信じる道を突き進もうという人間を描き、松之丞その人のことを語っているような気がした。
機会があれば、また聴いてみたい。
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会後のサイン会にて。
首肩のラインにそこはかとなく孤独感がただよい、
日頃の毒舌とうらはらなこのお姿も魅力なのだろうと思う

晩ごはんはポートピアホテルのフレンチ「トランテアン」で、アラン・シャペルの復刻コースメニュー。すばらしかった。
スタッフは、そう教育されているのだろうけど、常連でよく知っている客でなければ、料理のサーブと必要最低限の説明以外は客に話しかけないようにしているみたい。ホテルのレストランを利用することがほとんどないので、少し戸惑った(神田松之丞の感動と、復刻コースメニューがとてもおいしかったことを伝えたかったのだけど。復刻コースメニューは、お皿も当時のお皿を使用していたそうだ)。
食後のデザートは、山側の夜景が楽しめる別室で。
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食事をいただくスペースは神戸空港ビューで、飛行機の発着が少ないために、少しさびしい眺めである(天気のいい昼間は、青い海がきれいだろうと思う)。

4月29日(月)
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4月28日(日)
薬師寺の国宝東塔修理作業所最終見学へ。
この見学会、過去にも実施されているのに、検索しても、どのように拝見できるのか全然出てこず、なぜだろうと不思議に思っていたが、行ってみてわかった。
写真撮影は許されているが、インターネット上で公開しないようにということであった。
ヘルメットをかぶって修理のための覆い屋の内部に入り、スロープを上がっていって、一番高いところでは、六重(実は三重)屋根を見下ろす位置で見学できた。
千三百年の歴史ある塔をこんな間近で拝見でき、感激した。
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東門を出たところから西塔を望む。
「東門からは西ノ京駅へは遠回りになります」という案内があり、
この日は時間に余裕があったので、東門から西ノ京駅へ行ってみたところ、
たしかに遠回りだった。風情のある道だったけど。

それから奈良国立博物館へ移動し、「藤田美術館」展へ。曜変天目茶碗は小ぶりだが、素敵だった。
晩ごはんは「をさむ」から「バー伊藤」。

4月27日(土)
久しぶりの「雲太」でお蕎麦を食べて、予約していた資料を受け取りに図書館へ。

4月26日(金)
姫路のバイト先の講演会の手伝い。いい講演会だった。

4月25日(木)
結婚記念日。
オットが花を買ってきてくれた。
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4月24日(水)
ボリショイ・バレエ inシネマSeason2018-2019「眠れる森の美女」。
オーロラ姫と王子が、スミルノワとチュージン、ブルーバードが先日の「バヤデール」ですばらしかったアルテミ―・ベリャコフという、自分的に最高のキャスト。
「白鳥の湖」「くるみ割り人形」と並び、三大バレエ作品といわれる「眠れる森の美女」、ほかの二作に比べ、あまりに他愛ないストーリーに、「なぜこれがクラシック・バレエの最高峰?」と驚いたが、三浦雅士『バレエ名作ガイド』の解説を読んで納得。
〈オデットに要求される内面的な表現力がオーロラには要求されません。オデットが内面的ならばオーロラは外面的。そのかわり第一幕の登場においては気品ある愛くるしさが、第三幕においては気品ある優美さが要求されます。だからこそオーロラのほうが難しいとも言えます。気品は演じるものではなく身に着けるものだからです。〉
幕間のインタビューでもたしかスミルノワだったか、かつてのプリマダンサーだったか、「おとぎ話そのものを演じる難しさ」を語っていた。
ボリショイ・バレエのダンサーは、よくチャイコフスキーの音楽への敬意を語っていて、うれしくなる。
終わってから、「ラピュタ・ザ・フランダーステイル 三宮」へ。
ボリショイ・バレエのシネマは、平日の19時15分からと、上映の条件がいいとはいえないけど、来月の「黄金時代」もおもしろそうで、どうしようかな。

4月21日(日)
阪神芦屋駅近くの八重桜が、花盛り。
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兵庫芸術文化センター管弦楽団 第114回定期演奏会。
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ブルチネッラ」組曲
イベール:フルート協奏曲
 (アンコール:バッハ「サラバンド」、ドビュッシー「シュリンクス」)
デュカス:交響詩「魔法使いの弟子」
ドビュッシー:交響詩「海」
 (アンコール:マネス「歌劇 ドン・セザール」より第三幕「セビリャーナ」)

指揮:パスカル・ロフェ
フルート:工藤重典

工藤さんのフルートのすばらしいこと。芯のある音が安定して続き、きれいにフレーズを収める。
「魔法使いの弟子」も「海」もよかった(同じクラシック音楽とはいえ、先月のドイツ・プログラムとはガラッと変わっていて、おもしろい)。
いつもに比べると、短いプログラムだったせいか、工藤さんは2曲、オケも1曲、アンコール演奏してくれた。

晩ごはんは「ラ・プチット」。

4月20日(土)
午後イチ、ハハとケアマネジャーさん面談。
そのあと友達と「フェルメール展」(大阪市立美術館)。まあまあの人の多さ。天王寺公園のオシャレな様変わりにびっくり。晩ごはんは、エルナ・アドリアーン。

4月19日(金)
チェコ語友達とランチ。「施家菜 點心坊(シーカサイ テンシンボウ)」。
おいしかったけど、コースの組み立ては、似たような濃い目の味付けの料理が続き、この点は日本人の料理人のほうが上手だと思う。
広東料理の「施家菜」、飲茶と焼き物料理「施記(シーキ)」と、これでオーナーの施氏が展開する3店全部に行ったけど、どこもおいしいのはおいしいけど、3店ともメニューが似通っていて、3店のコンセプトの違いがはっきり打ち出せていないと思う(3店とも前菜をいただいたが、違いがあまり感じられなかった)。
お店の内装や広さからすると、広い點心坊の店で広東料理の店を、2階で狭い「施家菜」の店で飲茶の店をするほうがいいように思う。
またそれぞれ、メニューを絞って、点心は點心坊でしか食べられない、高級食材の広東料理は施家菜でしか食べられない、リーズナブルな焼き物は施記でしか食べられない、としたほうがいいようにも思う。
個人的には、施記が飲み物の値段もリーズナブルで、現時点ではいちばん行きたいお店ということになる。

「昭和考古学とブログエッセイの旅」で、JR三ノ宮駅のホーム外側の鉄板(JRから阪急・阪神に行くときに通る陸橋のすぐそば)、米軍による機銃掃射の跡が残っていることを知った。恥ずかしながら、現在の神戸に、そんな戦争の跡が残っていることを初めて知った。
ランチの前に立ち寄り、確かめてみた。
あらかじめ、そういうものがあるとはわかっていても、実際に目にすると、息を飲むようななまなましさで迫ってくる。
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歴史豊かとはいいがたい、阪神・淡路大震災の跡すらもうほとんど感じがたい神戸の街に残る、戦争のなまなましい爪痕。取り替えることなく、残していってほしいと切に思う。

2019年
4月13日(土)
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これもまた、近所の桜

第82回マグナムクラブ。シャルル・エイドシック特集。1995年ヴィンテージが非常に美味だった。1943年(!)の375ml、ガスは消えていたが、いい状態で、感激。ジャン・クロード氏がシャンパーニュなど長期間熟成のお酒のことを「時間を瓶詰めしている」と言っていたが、まさにその通り。同じジャン・クロード氏が言った「人生は、まずいワインを飲んでいるほど長くない」という語、金言としてわりに有名なもので、ゲーテの名言の一つだと教えてもらった。英語では
Life is too short to drink bad wine.

4月10日(木)
北浜のスペイン料理店「エル・ポニエンテ」にて、リオハを代表するつくり手、ロダのワインと小西シェフの特別ディナー。ロダからはトップセールスマンのジャン・クロード氏が来店。前のシェリー酒メイカーズディナーのときも感嘆したけど、小西シェフの、スパニッシュといいつつもフレンチの技法を完全に使いこなした料理は見事。どれもおいしかったけど、とくに、皮はバリバリ、身はとろとろの「豚バラ肉の24時間調理 リンゴのピュレ添え」はあまりにおいしくて仰天した。タパスの数々も、至福。ロダのワインは、もちろんおいしかったけど、フランスワインやイタリアワインと同額、もしくはより高額で供されると、飲み手はさて、どうするか。

4月7日(日)
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英国ロイヤル・オペラ・ハウス 2018/19シネマシーズン、オペラ「椿姫」。演劇人のリチャード・エアによる演出。よかったが、演劇としてはそうせざるを得ないだろうけど、「肺の病」(肺結核か)が悪化して亡くなる直前のヴィオレッタのメークが、やつれ過ぎのような。枕カバーやあちこち、喀血の赤い血で汚れていて、アルフレードが戻ってきての美しい最期というよりは、ただただあわれな病死であることを忘れさせなかった。アルフレードの父、ジェルモンを演じたプラシド・ドミンゴがすばらしかった。なんというんだろう、オペラに出る歌手はみんな歌がずば抜けてうまいわけだけど、さらにその上を行くというか。いつまでもこの人を見て、歌を聞いていたいと思わせる。
そのあと、チェコ語勉強会。

4月6日(土)
湖北の海津大崎の桜を見に行ったが、まだ咲き始めだった。残念。ここの桜は、自転車かバイクで通り抜けるのが、一番ではないか。高速艇で行ったが、船着き場のすぐ近くの店が、大音響で宣伝文句を流しているのにはがっかり。
(その後、ごく近所の桜がものすごくきれいで…上の写真…、東京へその時期に行くときは別として、関西では桜のためにわざわざ出かけていくことはよしたほうがいいのかな、と反省した。)

4月4日(木)
オットの誕生日を、一日早く祝う。ミートローフとダニエルのケーキ。セルバの魚屋さんに北海道産のウニがあったので、それも。

4月1日(月)
姫路のバイト先で会議があったので、出勤。新元号は「令和」。R音は、日本語には少ないし、漢語でも形容語(寥寥とか、凛々とか、烈々とか)が多いような印象なので、意外だった。また、令を「りょう」でなく「れい」と読ませるのが意外だという声も。「万葉集」が出典ということで、うたから採ったかとさらに意外に思ったが、漢文の詞書なら、やはり漢籍に典拠を持つだろうに。国書にこだわり、あくまで日本日本というなら、「さくら元年」とか「のどか元年」とかするより他あるまい。
(その後の他案を新聞で見て、個人的な好みは「万和」だった。濁る音を好まない人も多いだろうけど。)

3月30日(土)
写真を見て思い出したが、三宮のフレンチ「肝胆亭」でランチ。25年ぶりぐらいに行ったような気がする。そうだ、思い出した、そごうの催事で、東京・神楽坂の「紀の善」の抹茶ババロアが限定販売されるということで、三宮に出たのだった。肝胆亭でワインもいただいて、発売時刻の数分過ぎに行ったら、もう完売だった。がっかり。ランチはおいしかったけど。

3月27日(水)
ボリショイ・バレエ in シネマ「ラ・バヤデール」。
2019年1月20日収録。
ニキヤ:オルガ・スミルノワ
ソロル:アルテミー・ベリャコフ
ガムザッティ:オルガ・マルチェンコワ
大僧正:Alexander Fadeyechev
Dugmanta王:アレクセイ・ロパレーヴィチ
苦行僧マグダヴェーヤ:Anton Savichev
ブロンズアイドル:ダヴィッド・モッタ・ソアレス
ニキヤとソロルの二人がすばらしかった。やっぱりボリショイ・バレエはいいなぁ。

3月24日(日)
これはブログに書いたけど、ハンバーガーを食べてから、クリスチャン・ボルタンスキー展に行き、それから、大阪の歴史散歩。おもしろいものが、いっぱいある。「大阪のことは、わからない」と言わず、勉強しないといけないなと思った。
「懐徳堂」の跡地は、日本生命のビルなのね…。
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夜は神戸酒心館「さかばやし」に「酒屋鍋」を食べに伺う。魚介類のおいしさに驚く。野菜の下ごしらえも繊細で、素人がつくる鍋とは一線を画しているなぁとしみじみ感心。

3月16日(土)
英国ロイヤル・オペラ・ハウス 2018/19シネマシーズン、オペラ「スペードの女王」。チャイコフスキーの「インサイド・ヘッド」版演出。なるほどなぁ。音楽家としては成功をおさめ、しかし「普通」に結婚して親を喜ばせようとしたが叶わず、この「スペードの女王」出演の男性歌手への恋に悩んだというチャイコフスキー。そんななかであの美しい曲の数々をつくってくれた。イタリアのオペラは、「歌と伴奏」と聞こえなくもないけど、チャイコフスキーのオペラは、歌と渾然一体になっているのが、すごい。

3月17日(日)
チェコ語勉強会。それから、兵庫芸術文化センター管弦楽団の第113回定期演奏会。指揮はクラウス・ペーター・フロール。
ベートーヴェン:「エグモント」序曲
シューマン:ピアノ協奏曲
 ピアノ:クレア:フアンチ
  アンコール演奏曲:グルダ「トッカータ」、ショパン「ノクターン」
ブラームス:交響曲 第1番
シューマンのピアノ協奏曲はまことに甘美、アンコールの「トッカータ」は一転して、疾風怒濤の速弾きだった。
ブラームスの交響曲第1番は、このオケで以前も聞いたことがあると思うけど、今日はまことによく、第4楽章の最後は感動を覚えた。なんというんだろう、指揮のフロールはライプツィヒ生まれのドイツ人、「ベートーヴェンは、こうだ」「シューマンは、こうだ」「ブラームスは、こうだ」と、揺るぎなく指揮している感じで、プレーヤーもその揺るぎなさのなかで演奏している印象だった。

3月11日(月)
マニュエル・ルグリ “Stars in Blue~BALLET & MUSIC”(ザ・シンフォニーホール)
マニュエル・ルグリ
オルガ・スミルノワ
セミョーン・チュージン
シルヴィア・アッツォーニ
[ヴァイオリン]三浦文彰
[ピアノ]田村響
[特別出演(Moment ピアノ伴奏)]滝澤志野
怪我で降板したダンサーには申し訳ないけど、それでシルヴィア・アッツォーニが加わって、プログラムが変更されたことと、1月のボリショイ・バレエ in シネマ「くるみ割り人形」のセミョーン・チュージンがすばらしかったのとで急遽、チケット購入。
なので、端っこの、いい席とはいえない席だったが、体感的には、ダンサーたちの頭のすぐ上ぐらいから見下ろす感じの席だった。
ルグリがすばらしいのはもちろんのこと、スミルノワとチュージンもすごくよかった。
スミルノワ、腕がすごく長くて、チュージンと重なりあっても、腕の長さは変わらないように感じるほど。その腕が、すばらしく優雅に動く。
アッツォーニもよかった。
三浦さんと田村さん、音楽メインではなく、決してやりやすい舞台ではなかったろうに、心をこめて演奏しているのが伝わってきた。
それもこれも、ルグリの人間性にみんなが打たれて、最善のパフォーマンスを見せているような気がした。
カーテンコールのとき、ルグリがピアノのほうに向いてひざまずいて座った姿の美しかったこと。息が止まりそうな気がした。
いい舞台だった。観に行って、本当によかった。
舞台後、福島クラフトビールキッチンPOGOへ。

3月10日(日)
わが家の文鳥たちも換羽期を迎えたようで、ときどき羽が抜けている。
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抜けた羽をくわえて、木枯し紋次郎スタイルのはなちゃん。

3月3日(日)
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ミモザ。春だ。

二人は客間に座ったが、老婦人は、女中があいにく出かけていることを詫びて、お茶を淹れる道具を持ってこようと立ち上がった。
その瞬間をこそ、フキヤは待っていた。
老婦人がふすまを開けようとして少し身をかがめた瞬間、フキヤは素早く老婦人の背後に飛びかかり、両手を回して動けなくし、あらん限りの力でのどを絞め上げた。
フキヤは手袋をはめていたが、指の跡を防ぐことはできなかった。(※乱歩原文のニュアンスとは違うが、チェコ語文はこういう意味になると思う)
老婦人は大して抵抗もできず、かすれた短いうめき声をあげ、いまわの際に、体のそばで両手を絶望したように何度か振って、そこにあった屏風に倒れかかると、少しだけその屏風を爪で引っ掻いた。
屏風はとても古い二曲のもので、金箔が貼られていた。
色とりどりに六歌仙、九世紀半ばの六人の和歌の名手の姿が描かれており、ちょうど有名な女性歌人小野小町の顔に、老婦人の爪が当たっていた。

フキヤは、老婦人がもはや息をしていないことを確かめると、その死体を脇にやり、少しばかり心配そうに屏風の傷を調べた。
しばらく考え、最終的には、心配にはまったく及ばないという結論に達した。なぜならば、この傷のついた屏風が、フキヤの不利になるなんの証拠にもなり得ないからだった。
だからフキヤは床の間に近づき、盆栽の松の根元をつかむと、それを根っこごと鉢から引き抜いた。
期待どおり、鉢底に油紙にくるまれた包みを見つけた。
落ち着いて包みを開き、右ポケットから新品の札入れを取り出すと、それに紙幣の半分を入れた。
大金で、五千円ほどはあったろう。
そして札入れを再びポケットにしまった。
残りの半分の紙幣は元の紙に包み、元通り、植木鉢の底にしまった。
盗みの痕跡を消し去ることが目的である。
というのは、植木鉢にカネをいくら隠していたか知っていたのは老婦人だけであり、その人は今や死んでしまった。
だから、その包みに、元々の金額の半分しかないという疑念を抱き得る者は、誰もいないのだ。

フキヤは座布団を丸め、血が死体のまわりに流れ出ないように、その座布団を死体の下に入れ(※「座蒲団を丸めて老婆の胸にあてがい」という乱歩原文とは逆のように思うし、一方、乱歩原文も、座布団を丸めてあてがったら、ナイフの刃が通らないのではという疑問が残る)、ポケットから折りたたみナイフを取り出して開き、ありったけの力を込めて老婦人の心臓に真っすぐに突き立てた。
そしてすぐさまナイフを引き抜き、ていねいに血をぬぐうと、再びポケットに戻した。
絞殺したあとに老婦人をナイフで刺したのは、突然、老婦人が意識を取り戻しはしないかという恐れからであった。
昔の戦いにおけるような、情けによるとどめの一撃というものだった。
それならなぜ、絞殺ではなく最初から刃物を用いなかったのか?
それは、血で自分の服が汚れるかもしれないことを恐れたからであった。

【江戸川乱歩原文】
 座が定まると間もなく、「あいにく女中が居りませんので」と断りながら、老婆はお茶を汲(く)みに立った。蕗屋はそれを、今か今かと待構えていたのだ。彼は、老婆が襖を開ける為に少し身を屈めた時、やにわに後から抱きついて、両腕を使って(手袋ははめていたけれども、なるべく指の痕はつけまいとしてだ)力まかせに首を絞めた。老婆は咽(のど)の所でグッという様な音を出したばかりで、大して藻掻(もがき)もしなかった。ただ、苦しまぎれに空を掴んだ指先が、そこに立ててあった屏風(びょうぶ)に触れて、少しばかり傷を拵(こしら)えた。それは二枚折の時代のついた金屏風で、極彩色の六歌仙が描かれていたが、その丁度小野(おのの)小町(こまち)の顔の所が、無惨にも一寸(いっすん)許(ばかり)破れたのだ。
 老婆の息が絶えたのを見定めると、彼は死骸をそこへ横にして、一寸気になる様子で、その屏風の破れを眺めた。併しよく考えて見れば、少しも心配することはない。こんなものが何の証拠になる筈もないのだ。そこで、彼は目的の床の間へ行って、例の松の木の根元を持って、土もろともスッポリと植木鉢から引抜いた。予期した通り、その底には油紙で包んだものが入れてあった。彼は落ちつきはらって、その包みを解いて、右のポケットから一つの新しい大型の財布を取出し、紙幣を半分ばかり(十分五千円はあった)その中に入れると、財布を元のポケットに納め、残った紙幣は油紙に包んで前の通りに植木鉢の底へ隠した。無論、これは金を盗んだという証跡を晦(くら)ます為だ。老婆の貯金の高は、老婆自身が知っていたばかりだから、それが半分になったとて、誰も疑う筈はないのだ。
 それから、彼はそこにあった座蒲団を丸めて老婆の胸にあてがい(これは血潮の飛ばぬ用心だ)左のポケットから一挺のジャックナイフを取出して歯を開くと、心臓をめがけてグサッと突差し、グイと一つ抉(えぐ)って置いて引抜いた。そして、同じ座蒲団の布でナイフの血のりを綺麗に拭き取り、元のポケットへ納めた。彼は、絞め殺しただけでは、蘇生の虞(おそ)れがあると思ったのだ。つまり昔のとどめを刺すという奴だ。では、何故最初から刃物を使用しなかったかというと、そうしてはひょっとして自分の着物に血潮がかかるかも知れないことを虞れたのだ。

クリスチャン・ボルタンスキーという芸術家の名前を初めて知ったのは、2016年に瀬戸内国際芸術祭のツアーに参加したとき。
ツアーで訪れた豊島(てしま)に、その「心臓音のアーカイブ」という作品があったが、少し行きづらい場所にあり、見ることはできなかった。
「さまざまな人の心臓音を録音し、その心臓音の主が亡くなったあとも、その音は響き続ける」(資料に頼らず、記憶だけで書いている。誤りがあるかもしれない)という作品コンセプトが印象に残っていた。
国立国際美術館で、そのボルタンスキーの特別展があるというので、正直、現代美術はよくわからないけど、行きたいと思った。

お昼は、21日の春分の日に行列を見かけて「こういうものが流行っているのか」と興味を持った「シェイクシャック阪神梅田」へ(ほぼ、家と姫路の往復、そうでない日は家とコナミ・コープあるいは家とセルバの往復、ときどき西宮北口という生活なので、世間の流行りを知り得ない)。
11時半すぎにお店に着いたら、少し並んだだけで、座ることができた。
店名と同じ「シャックバーガー」にした。
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ビーフパテはファストフードのものよりしっかりしている。まぁ、ハンバーガーってこんなものよね。気が済んだ。

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お腹もいっぱいになったし、村野藤吾設計の「梅田換気塔」を見ながら、国立国際美術館へ。
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途中、「蜆楽(けんらく)筋」という趣きある小路を通り抜けた。かつてあった「蜆(しじみ)川」と、町名の「永楽町」が、名前の由来だそうだ。
蜆楽筋を抜けると「かに道楽」のビルで、北新地ど真ん中。
そこから四つ橋筋に出て、堂島川を渡って、国立国際美術館へ。

(「クリスチャン・ボルタンスキー―Lifetime」展には撮影可能エリアがあります。)
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砂浜にそのまま置かれ、今は朽ちてもう存在していないだろう、この映像空間のなかにしか存在しない作品。
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「ボタ山」にも、bodyの堆積にも見える作品。人は、ふだんは他人の言葉など聞こうともしないのに、この空間で黒い服からかすかに聞こえてくる声には、耳を寄せて聞き取ろうとせずにいられないのは、なぜなんだろう?
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光と影によって、現れては消える作品は、「ある」のか「ない」のか。
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「ARRIVEE(アリヴェ/フランス語で「到着」)」…人間は、どこから来て、どこへ到着するのだろう―。
不可視のもの、不可知のもの、それをかたちにとどめようとしている作品群に思えた。特定の宗教に依らずに、ふだん人間が忘れ去ろうとしている「死」を、喚起する作品群のようにも。

今年のイカナゴ漁、大阪湾は解禁から3日で終了とのことで、値段も例年以上に高そうだし、炊かないだろうと思っていたが、コープで播磨灘でとれたものが売られていたので、買ってしまった。
テープの音声が「今年はあと3日で終了」とせわしなく告げていたのに、背を押された感がある(播磨灘の漁は25日で終了の由。しかし、海はつながっているんだから、大阪湾が不漁で3日で終了なら、播磨灘も合わせたほうが、来年のことを考えるとよかったようにも感じるが)。

ハハの友人が炊いたくぎ煮をハハからもらい、それがカキッと好ましい硬さのうえに、実山椒の効き具合もほどよく、レシピを教えてもらいたいぐらいだったが、すごく高齢とのことで、あきらめた。
だから、いつものレシピで炊いて、いつものやわらかさ。味は、おいしいんだけど。
検索してみると、硬いくぎ煮を炊くには、水あめを少しだけ加えるらしいが、それだけで、あんなにカキッとなるのかなぁ。
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