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PSYCHOLOGICKY TEST(12)

その後は万事大丈夫だろう…けれど判事がサイトウの取り調べを始めたら、多くの事実が明らかになる可能性があるかもしれない。
たとえば、あの婆さんがカネをどこに隠しているか、サイトウが私に話したこととか。
あるいは、殺人の二日前に、私が婆さんと話をしに居間に顔を出したこととか。
またあるいは、私が貧乏で、学費の支払いに困っていたこととか。

しかしフキヤは、そういったことはすべて、殺人計画を準備したとき、あらかじめ考慮に入れていた。
今またそのことをどんなによくよく考えても、以下の結論に達した。サイトウが私に害をなすようなことを話すことなどできない、それ以外はない。

フキヤは警察署から下宿に戻り、遅い朝食をとった。その間フキヤは、朝食を運んできた手伝い娘に事件の全容を話して聞かせた。
それからいつものように大学に出かけた。大学では、サイトウが逮捕された話で、みんなもう持ちきりだった。
フキヤは、自分の計画が思い通りに進んだことを得意に思いながら、事件のうわさ話の輪に元気よく加わった。

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親愛なる読者諸賢、きっと探偵ものに典型的な特徴を熟知しておられることだろう。であるからには、その特徴によって、物語のすべてが終わるには程遠いと、正しく推測しておられることだろう。
さよう、その通り。
実際のところ、今まで問題になっていたのは、むしろ前置きであった。というのは、私が皆さんにお聞かせしたいことの主なところは、ようやく今、やって来たのだから。
言い換えよう、今から皆さんに、フキヤがあんなに徹底的に準備した犯罪が、実際にどのようにして明らかになったかをお話しするつもりだ。

事件は、当時の裁判所の規則により、名高い判事のカサモリに割り当てられた。カサモリは判事としてだけでなく、少しばかり風変わりな趣味のためもあって、広く知られていた。
すなわちカサモリは、アマチュア心理学者であった。そして、標準的な犯罪調査の方法では解決できない事件に出くわすたびに、最終的には自分の心理学に関する豊かな専門知識を利用して、しばしば成功を収めていたのだった。
カサモリはまだ若く、だから判事としての職歴は比較的浅かったが、地方裁判所の判事として、すでに抜きん出た能力を示していた。
老女殺人事件がほかならぬカサモリ判事に任されるやいなや、誰もが、必ずやカサモリが事件を解決すると信じ、カサモリ自身もまたそう確信していた。
カサモリはこう予想していた。公判の前になんの不明な点もなくなるようになって、予審の審理のあいだに事件を終えてしまうだろう。

しかし一人で詳しく調べていくうちに、事件はとても込み入っていることが次第に明らかになってきた。
警察はハナから、サイトウが犯人だとして譲らなかった。

[参考:戦前の裁判制度]
戦前、犯罪捜査は、司法権の作用として裁判所に置かれた検察の事務とされ、警察固有の事務ではなかった。警察官は、検察官の指揮の下に、その補助者としての立場で犯罪捜査を行うものに過ぎなかった(「平成20年警察白書」)

予審  検察官の公訴提起を受けて、予審判事が被告事件を公判に付すべきか否かを決定するために必要な事項を取り調べる公判前の訴訟手続をいう(旧刑事訴訟法295条1項参照)。公判に付するに足りる嫌疑があるときは、予審判事は決定をもって、被告事件を公判に付する言渡しをなすべきものとされていた。この予審の制度は、フランス法を継受した日本の治罪法(1880年公布)以来、旧刑事訴訟法(1922年公布)に至るまで採用されていたが、この手続は非公開で、被告人の尋問には弁護人の立会いを認めず、また予審調書は公判期日において無条件で証拠能力を有するなど、かなり糾問主義的制度であったので、現行刑事訴訟法(1948年公布)は公判中心主義を強化し、この制度を廃止した。(「日本大百科全書」)

【江戸川乱歩原文】
そうなればしめたものだが、……ところで、裁判官が彼を問詰めて行く内に、色々な事実が分って来るだろうな。例えば、彼が金の隠し場所を発見した時に俺に話したことだとか、兇行の二日前に俺が老婆の部屋に入って話込んだことだとか、さては、俺が貧乏で学資にも困っていることだとか。
 併し、これらは皆、蕗屋がこの計画を立てる前に予め勘定に入れて置いたことばかりだった。そして、どんなに考えても、斎藤の口からそれ以上彼にとって不利な事実が引出されようとは考えられなかった。
 蕗屋は警察から帰ると、遅れた朝食を認(したた)めて(その時食事を運んで来た女中に事件について話して聞かせたりした)いつもの通り学校へ出た。学校では斎藤の噂で持切りだった。彼はなかば得意気にその噂話の中心になって喋った。


 さて読者諸君、探偵小説というものの性質に通暁(つうぎょう)せらるる諸君は、お話は決してこれ切りで終らぬことを百も御承知であろう。如何にもその通りである。実を云えばここまでは、この物語の前提に過ぎないので、作者が是非、諸君に読んで貰い度(た)いと思うのは、これから後なのである。つまり、かくも企らんだ蕗屋の犯罪が如何にして発覚したかというそのいきさつについてである。
 この事件を担当した予審判事は、有名な笠森(かさもり)氏であった。彼は普通の意味で名判事だったばかりでなく、ある多少風変りな趣味を持っているので一層有名だった。それは、彼が一種の素人心理学者だったことで、彼は普通のやり方ではどうにも判断の下し様がない事件に対しては、最後に、その豊富な心理学上の智識を利用して、屡々(しばしば)奏効(そうこう)した。彼は経歴こそ浅く、年こそ若かったけれど、地方裁判所の一予審判事としては、勿体(もったい)ない程の俊才だった。今度の老婆殺し事件も、笠森判事の手にかかれば、もう訳なく解決することと、誰しも考えていた。当の笠森氏自身も同じ様に考えた。いつもの様に、この事件も、予審廷ですっかり調べ上げて、公判の場合にはいささかの面倒も残っていぬ様に処理してやろうと思っていた。
 ところが、取調を進めるに随って、事件の困難なことが段々分って来た。警察署等は単純に斎藤勇の有罪を主張した。

by boyo1967 | 2019-08-04 23:35 | チェコ・中欧・スラヴ | Comments(0)